活動報告

第42回例会卓話「横浜シウマイ物語」

2016年05月20日

「横浜シウマイ物語」
横浜RC 野並 直文様


崎陽軒の野並でございます。餃子の日本一の消費地はどこだ、という話があるのですが、シウマイの消費地NO.1はここ40年間ずっと横浜です。総務省統計局の家計調査では、どの地であっても、餃子より焼売の方が消費量が多いのですが、横浜だけは唯一の例外でシウマイよりも餃子の方が消費量が多いのです。なんでそうなったのか、という話をこれからさせて頂こうかと思います。

崎陽軒というのは、今から108年前に駅弁屋として開業しました。ただ東京に近すぎて、駅弁がなかなか売れなかったのです。そこで売り上げを上げる工夫として、小田原ではかまぼこが、静岡ではわさび漬けがお土産用として売れているので、横浜でも土産品を売ろうと思いました。歴史が浅い横浜ではなかなか名産品が無かったのですが、南京町の中華料理屋で突き出しにシウマイを出しているので、これを名産品にしようと考えた。ところが豚肉料理はというのは冷めると豚肉の独特のにおいが出て不味い。そこで南京町の点心の専門家「呉遇孫(ご ぐうそん)」を招聘し冷めても美味しいシウマイを開発しようとした。そこで完成したのは、豚肉とホタテ貝柱をミンチにして冷めても美味しいシウマイを売り出すことにした。それが昭和3年のことです。

 横道にそれますが、私が良く結婚式に出てお祝いのスピーチをすることがあります。そのときに決まってするのが、「崎陽軒のシウマイのような夫婦になってください」。崎陽軒のシウマイの最大の特徴は「冷めてもうまい」。新婚当初はアツアツであっても、永年たては冷めてしまう。そんな時でも味わいのある夫婦になってください。崎陽軒のシウマイは冷めても豚肉とホタテ貝柱、それぞれ違うところで育った者同士がひとつになってお互いの味を引き立てていくので、冷めても美味いんだと言っております。
 ところで崎陽軒のシウマイは、年々だんだん小さくなっていくという噂話がありますが、これは最初から小さいのです。列車に乗りながら食べるときに、食べやすいようにと一口サイズで売り始めたので、最初から小さいのです。だんだん小さくなっていることではございません。
 そうやって売り出したシウマイでしたが、当初は販売に苦労したそうです。本格的に売れるようになったのは戦後になってからで、シウマイ娘がきっかけでした。横浜駅のホームで列車の窓を開けて販売をしていた時代です。そこにシウマイ娘を登場させるきっかけは、当時の社長である祖父が銀座にいった時に、たばこのピースのキャンペーンガールを見たときに、荒れ果てた街に強い印象を受けたことがだったそうです。
当時はシウマイ娘に身長159センチ以上という身長制限がありました。列車の窓越しの販売するので制限が必要だったそうです。その後獅子文六先生が毎日新聞に連載した小説「やっさもっさ」にシウマイ娘が登場したのです。終戦直後の横浜で逞しく生きる三人の女性を取り上げたのですが、そのうちの一人がシウマイ娘で、そのシウマイ娘がプロ野球選手と恋仲になり幸せになるという小説でした。評判になったので松竹が映画化し、桂木洋子さんがシウマイ娘を演じで全国で大ヒットしました。それがものすごい宣伝効果になりシウマイが売れるようになったわけです。

 その次に話題になったのが、シウマイの中に、「ひょうちゃん」というひょうたん型の醤油差しがあります。最初は何も書いていなかったのですが、漫画家の横山隆一先生が、全部で48種類の絵をかいて、ひょうちゃんとして有名になりました。今では色々な種類のひょうちゃんがあって、クリスマスのひょうちゃんもあれば、キャッツシアターにもひょうちゃんがデザインされていました。そこのひょうちゃんはひげの生えた猫でした。昨年はひょうちゃんが60歳になって、還暦ということで赤いちゃんちゃんこを着せたひょうちゃんにしました。それと何百個に一個金色のひょうちゃんが当たると売り出し、また25種類のコンプリートセットを懸賞で募集したらなんと8万5千通もの応募がありました。盛り上げてくれた人として評論家の森永卓郎さんがいたのですが、ラジオ番組で欲しいと言われましたが断りました。そんな風に盛り上がったひょうちゃんでした。
 ひょうちゃんが登場したころにシウマイ弁当も売り出されました。昭和29年の頃です。シウマイを売るのは非常に苦労しましたが、シウマイ弁当は発売当初から非常によく売れました。最近ご当地検定というものがありますが、横浜検定というものがあります。私も横浜検定を受けてみようと挑戦しましたが、ビックリするような問題が出るんですね。というのは、シウマイ弁当にシウマイは何個入っているかという問題が出るんですね。半分以上の人が6個と答えて不正解になりました。正解は5個で正答率は19%しかいなかったそうです。問題を作った人はこれは良い問題だったとご機嫌だったそうです。

 シウマイ弁当はご飯がおいしいとよく言っていただきます。炊き方に秘訣があります。それは火を使わずに、蒸気で蒸しているからです。それは当時の社長が、おこげがモッタイナイと言ったことから始まっています。何とかおこげを出さない炊き方をということで、木の樽でボイラーの蒸気をパイプで引き込んでご飯を炊くようにしたのです。それがおこわを炊くような炊き方になり、モチモチとした粘り気ある食感になりました。

 テレビのカンブリア宮殿に出演した時に小池栄子さんから言われた質問が、シウマイ弁当の底板と上蓋の木目が違うのは何ですか?という質問をされたんです。会社に帰ってから知っている人間に聞いたら、蓋はエゾ松を大根のかつら向きのように作り、底は同じエゾ松を縦に切って作っています。底の方は醤油などの汁物が染み出さないようにしています。上蓋は炊いたばかりのご飯の蒸気を逃がすように通気性を良くするための工夫がされているということです。

 アメリカの第二次世界大戦当時の牧師でラインホルド・ニーバーがこんなことを言っています。
変えるべきものについて、それを変えるだけの勇気。
変えてはならないものについては変えてはならないことの包容力。そして、変えるべきものと、変えることのできないものとを、識別する英知を与えたまえ。
これは経営者にとって非常に大事なことですが、よく間違えてしまいます。変えてはならないもの、とは変え易いものが多いのです。
で、変え易いものを変えて失敗してしまいます。変えづらいものを変えないで失敗する。往々にして逆をやってしまいます。
 シウマイ弁当にも長い歴史がありも少しずつ変えています。変えるべきものを変えて上手くいったケースと、変えてはならないものを変えて上手くいかなかったことがあります。
変えて成功した例は、当初シウマイを4個だったのを5個にしたら喜ばれた。
上手くいかなかった例として、鶏から揚げをエビフライにしたら不評だった。それと杏子をチェリーにしたら失敗でした。またレンコンを卵焼きに変えたら後から多くのお叱りを受けた。でも卵焼きファンが多かったのでよかったと思っています。
 そんなで今年で108年になりましたが、先輩たちから伝統を受け継ぎながら今後も一生懸命続けていこうと思っています。今後も引き続きご後援を頂ければと思います。本日はありがとうございました。



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