活動報告

第44回例会卓話「イニシエーションスピーチ」

2016年06月03日

「イニシエーションスピーチ」
   橋本陽子会員
    
 皆さん,こんにちは。橋本陽子です。
当会に入会させていただき,早4ヶ月となり,毎週金曜日に例会のある生活も徐々に日常になってきました。
今回は,改めてお時間をいただき,自己紹介させていただきます。
職業分類にありますとおり,私は現在「弁護士」として働いております。でも,これまでの人生で,身近に弁護士がおらず,また,幸いなことに弁護士にお世話になることもなかったので,縁遠く,よもや自分が弁護士になるとは露とも思っておりませんでした。
こんな私が何故,弁護士になったのか,これまでの経歴についてお話させていただきます。
私は横浜で育ちました。神奈川区にある捜真幼稚園,小学校から高校まで横浜雙葉学園です。生粋の「浜っこ」です!と,言ってはおりますが,一つコンプレックスがあります。それは生まれが横浜ではないことです。両親の出身が名古屋なので,母の里帰り出産で名古屋の病院で生まれたので,「生まれも育ちも」とは言えないことです。ですから,野球だけは「中日ドラゴンズ」ファンです。
大学は,早稲田大学政治経済学部政治学科です。家族には慶応が多く,祖父,父,兄と慶応大学でした。私も慶応大学に合格していたのですが,みなと「同じではつまらない!違う方が面白そう」と,早稲田への進学を決めました。在学中,父からは散々,早稲田は授業料が高い!交通費が高い!と文句を言われておりました。
大学を卒業し,日本興業銀行に入行しました。平成4年。バブルが崩壊して間もないころです。国際金融調査部に配属され,マクロ経済・為替相場・株式相場などの調査をし,レポートを作成していました。(国際金融調査部,調査部,市場投資調査部)
皆様も覚えていらっしゃるとおり,その頃の金融界は,日本版ビッグバンと言われる時代で大荒れでした。山一証券がつぶれ,日債銀,長銀がつぶれ,連日,そんなニュースばかりでした。興銀も,とうとう富士銀行,第一勧銀との合併で生き残りを図ることとなりました。
興銀の中からみていると,まるでタイタニック号にいるようでした。沈みゆく大きな船から,優秀な人材が,次々と外資系の金融機関に引っ張られていく。逃げ遅れないように次々と人が興銀からどんどん逃げていく・・・。そんな印象でした。
私も転職しようかな~。外資系企業に行きたいな~。もっと英語勉強したいな~。
ということで,興銀を辞め,半年間,語学留学することにしました。英語は,昔から好きで,当時,ベルリッツなどにも通っていましたので,集大成のつもりでした。
単身,半年間,アメリカに渡りました。サンフランシスコで5ヶ月間暮らしながら,語学学校に通った後,最後,1ヶ月間アメリカを旅行し,最後はニューヨークから帰国しました。
2000年,アメリカも同時多発テロ前,シリコンバレーの企業も絶好調で,非常にいい時代で,最高にいい思い出です。
帰国後は,外資系企業で就職活動をして,ロイタージャパンに入社しました。ロイターといっても,私は,報道の方ではなく,金融機関向けの情報の部門です。新規プロジェクトの立ち上げに関わっていました。
ロイターで2年働いた後,娘が生まれました。外資系のメリットを生かそうと,1年間の育児休暇をとりました。そして,そろそろ育児休暇が終わりそうになってきたころ,ロイターに戻るかどうするか考え始めました。また満員電車に乗って,毎日東京まで通うの,嫌だな~。育児しながらももっと自由に仕事ってないか~。やっぱり資格があった方がいいかな~
そして,夫の一言。「法科大学院に行ったら?」それが人生の分岐点でした。
 法科大学院も始まったばかり。まだ,前途洋々,希望がありました。法科大学院導入の趣旨の一つに他職経験者を法曹界に,というのもあり「私みたいな人が求められてるかもしれない。」という自分勝手な発想で,ロイターを辞めて法科大学院に進学することにしました。
 資格があれば,子育てしながらも仕事がしやすい。一旦仕事をやめても資格があればまた戻れる。時間も自由に使える,本当に単純な発想でした。
 そんな軽い気持ちに法科大学院に入ってしまいましたが,入ってから気がついたのは「受かるまで辞められないんだ」ということでした。 法律なんて今まで勉強したこともなく,まったく素人でした。まだ子どもも小さかったので,非常に大変な数年間でした。夫,両親を動員し,家族フル稼働の末,無事,司法試験に合格することができました。
 そして,現在,弁護士になって5年目になります。
 やっと,この仕事にも慣れつつあるころにロータリーのお話をいただき,ご縁があって入会させていただきました。
ところで,入会にあたり,ロータリーの申込書に「趣味」を書く欄があります。そのとき,はたと「私って趣味何?」と愕然としました。振り返れば,ここ10年,司法試験を目指しているときは勉強しているか育児・家事をしている。弁護士になってからは,仕事しているか・家事をしているか,自分の時間がありませんでした。
今年,娘も中学校に進学し,だいぶ自分のことができるようになってきました。気持ちの余裕が出てきましたので,新しい趣味を持ちたいと思い始めるようになりました。
ロータリーにも出会い,多才・多趣味の皆様にお会いできました。新しい趣味を募集中ですので,何かお勧めの趣味がありましたら,どうぞ教えて下さい。
こんな私ですが,引き続きどうぞよろしくお願い致します。



「イニシエーションスピーチ」
   米澤榮三会員

皆様には3月1日入会以来、心温まるお心遣いをいただき、有難うございます。また、本日はイニシエーションスピーチの機会を与えていただき、重ねて御礼を申し上げる次第です。
 私は1946年6月1日生まれで、一昨日に誕生日を迎えました。始めに、家族紹介をさせていただきます。妻ですが、同級生で専業主婦です。出会いは小学校の入学式後、1年1組で隣席に座りました。以来、63年間の交際で、現在は空気のような存在です。
 長男・貴紀は38歳で、早稲田大学理工学部招聘研究員です。書籍5冊を発刊し、最近の「神社の解剖図鑑」は3万部を発売し、研究者の道を歩んでいます。
 次男・章憲は36歳で、朝日新聞のグラフィックウェブデザイナーです。武蔵野美大の学生時代から小学生新聞に漫画を掲載し、以来朝日新聞に世話になっています。
 長女・絵理歌は34歳で、神奈川大の同級生と結婚し、専業主婦です。主人の郷里である佐賀県に嫁ぎ、二人の子供に恵まれています。
さて、仕事の紹介をさせていただきます。
1975年、建設会社企画設計部を経て、米澤榮三建築設計事務所を設立。個人資格は、一級建築士です。開設後、法人化や社名変更を行い、現在に至っております。
 設計の業務内容は、個人住宅から共同住宅、医療・高齢者施設、商業・業務施設、教育・宗教施設等を手掛けています。設計思想は、日本文化の伝統美と自然環境との共生を重視した、人間に優しい空間作り。社員とともに日々「イイ建築造り」に挑んでいます。
 公職ですが、横浜市建築事務所協会、NPO法人横浜市まちづくりセンター、(社)神奈川県建築士事務所協会、(協組)横浜市建築調査機構等の会長や理事長に就任。2005年発覚した構造偽装事件では、(社)日本建築士事務所協会連合会理事、教育情報委員長として、建築基準法や建築士法の改正に関与致しました。
 現在まで、横浜市、神奈川県、国の建築関係の委員会委員に就任し、教職も10年間経験し、現在、官民からの講演依頼に対応しています。
 所属組織は、日本建築学会、日本建築史学会、日本建築家協会等です。
 裁判所関係では、1998年民事調停委員、鑑定員に就任し、主に建築紛争の事件調停に従事しております。また、裁判所の建築事件鑑定を多数担当し、裁判に関与しております。横浜弁護士会では、建築紛争処理委員を10年間就任致しました。現在、弁護士事務所からは、私的鑑定や意見書の依頼を受け、種々対応を致しております。     
2014年、横浜地方裁判所所長表彰を受けました。
 ロータリー歴ですが、1994年2月に横浜金沢ロータリークラブに入会し、22年間お世話になっています。2000-01年クラブ幹事、2002-03クラブ会長、2013-14年ガバナー補佐に就任致しました。毎年、地区の情報委員会を主とした委員に就任してきました。
ベネファクター・ポールハリスフェロー、米山功労者(マルチブル)、ホームクラブ皆出席。
 趣味は参禅、伊藤博文研究、伝統的歴史建造物群の研究、演劇やクラシック演奏の鑑賞、スポーツ等です。


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