活動報告

第13回例会卓話「イニシエーションスピーチ」

2018年10月05日

「イニシエーションスピーチ」
山田裕史会員

私の生まれは東京で、今も実家は東京にあり母と叔母が住んでいます。その後は父の転勤の関係でいくつか転居を重ねた後に、小学校3年生から横浜の二俣川に移り住みました。横浜市立小学校、中学校、県立高校を卒業して東京の大学に入りました。
 卒業と同時に勤めました横浜銀行には昭和63年に入社しました。最初は藤沢中央支店に入り、初めての異動は当社では珍しい名古屋支店に転勤しました。現在に至るまで支店勤務がほとんどです。合計して12支店本部の勤務を重ねました。今年で31年目の会社員生活になります。
 初めての支店長は東京の恵比寿支店長です。次いで藤沢市の長後支店、秦野支店、ここ鶴見支店と4支店の支店長を務めています。恵比寿支店は前会員としてお世話になりました小野崎が初代支店長、私が3代目支店長と縁があります。
 会社員生活で嬉しかったこと、やりがいがあったことは各支店、各年代で多くありました。それでもやはり最初に支店長になりました恵比寿支店長が嬉しかったです。
  藤井聡太七段で脚光を浴び、ブームとなっている私の趣味である将棋の話を今日はしたいと思います。
 将棋を覚えましたのは小学校低学年のときです。祖父が将棋好きで教わりました。ちなみに父は囲碁を愛好していましたのであまり教わりませんでした。
 小学校5年生から本格的に将棋に取り組みました。同級生二人が将棋仲間でした。毎週日曜日や夏休みは至近にある祖父母の家に泊り込んで、千駄ヶ谷にある日本将棋連盟の道場に通い詰めていました。友人たちと一緒に朝から閉館になるまで道場に来ている方と将棋を指していました。たまたま幸運なことに小学校6年生で有段者になることができました。
 当時の夢はプロの将棋棋士でした。皆さん、今プロ棋士がどれくらいの人数かおわかりになりますか。ざっと数えました中では約150人くらいです。自分はといえば実力が不足してプロにはなれませんでした。幸いなことにともに将棋を指していた小学校の友人はプロ棋士になりました。プロでも八段ですので上位のほうだと思います。皆さんもご想像とおりとても厳しい世界です。私の夢は叶いませんでしたが、友人が活躍してくれているのは嬉しいですし、励みになります。
 指した将棋をその場で棋譜を見ずに再現しているのをご覧になったことがあるかと思います。ある程度将棋を指せると普通にできるようになります。記憶をたどると3級くらいから棋譜を再現できたり、将棋盤なしで頭の中で指せるようになったかと思います。棋譜を覚えているのでなく、そろばんの暗算と同じく絵が思い浮かび、駒が動きます。それを後から棋譜に直す作業です。小学校のときは学校や下校時に友人と指していて将棋三昧でした。今では全くできませんが・・・。
 パソコンやスマートフォンでの将棋は今ほとんど指しません。中々、勝てないです。悔しくて指さないようにします。将棋は老若男女できる遊びです。現在は幸運なことに仕事ができています。いずれ時間が取れるようになればもう一度将棋を勉強しなおしたいと考えています。
 本日は話ができませんでした会社員生活のエピソードはまた別の機会にできればと思います。自分本位の話を最後までお聞きくださりありがとうございます。


活動報告一覧へ戻る

Top