活動報告

第20回例会卓話「イニシエーションスピーチ」

2018年11月30日

「イニシエーションスピーチ」
岸本英二郎会員

皆様こんにちは。
それでは本日のイニシエーションスピーチを始めさせていただきます。
皆様には6月に鶴見西RCの解散に伴って横浜東RCに入会させていただいた以来、心温まるお心遣いをいただき、本当にありがとうございます。また本日はイニシエーションスピーチの機会を頂き、重ねて御礼申し上げます。
今回は改めてお時間を頂き、証券マンですので当時の経済情勢とも踏まえて簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。
私は野村證券鶴見支店の支店長をしております岸本英二郎と申します。この鶴見支店が初めての支店長経験となります。
野村證券は全国156ヶ店店舗がありますが、見ての通りその中で一番の若僧でございます。
私は1980年10月20日生まれのてんびん座のA型でございます。趣味はバスケットボールと旅行です。
1980年といいますと、任天堂がゲームウォッチを発売した年になります。その3年後にはファミリーコンピューターを発売しております。
他にも山口百恵と三浦友和が結婚。また今年再婚を発表された王貞治選手が引退した年でもあります。ポカリスエットが発売されたのもこの年でした。流行語はビートたけしの「赤信号、みんなで渡れば怖くない」などがございます。
1980年日経平均は6560円からスタートして大納会で7116.38円をつけていました。
当時の東証1部時価総額は73.22兆円でした。(昨日は617.82兆円))
当時時価総額1兆円を超えていた企業は3社のみでした。
トヨタ自動車 約1兆3千万、松下電器産業 約1兆2千万、そして最近ニュースになっておりますが日産自動車 約1兆1千万の3社でした。
2018年の現在は152社ございます。
またお手元の資料ございますが、この年の1月にロンドン金価格が850ドルをつけました。第二次オイルショックの真只中1980年1月につけたこの時の850ドルは10年前の2008年1月に書き換えられるまで27年間最高値の座を維持しました。
私の生まれ故郷は千葉県の松戸市になります。
鳥取県出身で商社で働いていた父と銀行員だった母の下、3人兄弟の次男として生まれました。母は私が20歳の時、がんで他界しております。父は現在会社を定年退職して水墨画の道に没頭しております。
少し話は変わりますが、昨年の10月に日経平均が史上初の16連騰を記録し、メディアでも大きく騒がれましたが、いつ以来かと申しますと、ちょうど私が生まれた時代、1980年代のバブル景気以来となっております。今振り返ると連騰記録の出現は、例外なく社会の変化や経済が大きく変わる転換点でした。
それ以前の1950年~60年代の連騰局面後に、日本経済が輸出主導型の経済成長に大きく構造転換しておりました。
1980年代の連騰局面は、今度は内需主導型の経済に大きく切り替わる局面になっています。
私の少年時代はそんな構造変化のちょうど狭間でございまして、1980年代の時代背景としては、米国の貿易赤字拡大が大きな問題となっておりまして、先進主要5か国がドル高是正のために1985年9月にプラザ合意を結びました。
そして、日本経済は外需主導から国内消費などの内需主導型に経済の構造転換が求められました。
当時の中曽根首相は、経済政策の方針を定めるために、前・日銀総裁であった前川さんを座長とする諮問機関を設置しまして、前川レポートを取りまとめて、都市開発の推進に加えて、週休二日制の導入といった雇用改革など、様々な取り組みが提言されました。
また、規制改革によって、今のNTTやJRグループの民営化が進んだのもこのころです。
内需主導型の経済だと、円高と金利低下、原油安は追い風であり、当時「トリプルメリット」と呼ばれました。
当時の私も小学生になり、学区の影響で目の前にある小学校には行けず、歩いて30分ほどの小学校に毎朝走って登校しておりました。当時のモチベーションは信号に引っかからず、止まらないで学校まで登校することでした。
今振り返るとその毎朝習慣になっていた登校の影響があって基礎体力は同級生の中では自分で言うのもなんなんですが。群を抜いたものでした。
短距離、長距離、幅跳び、高跳び、まず学内で負けることはありませんでした。
特に長距離は今でも毎年フルマラソンに参加しており、完走しております。ちょうどこの週末にNAHAマラソンが開催されますので明日沖縄に行って走って明後日弾丸で帰ってくる予定でございます。
そして小学生の頃は部活はサッカー部、陸上部を掛け持ちしておりました。また勉強もそこそこ優秀で当時は典型的な優等生だったのではと思ってます。バレンタインも毎年10個以上はもらっていた記憶があります。過去の栄光ですけど。
まさにその中で日経平均が1989年に3万8915円というピークをつけましたが、自分のモテキのピークも同じくその時でした。以後20歳まで彼女もできずという淋しい青春時代を送っております。
1993年4月に中学校に入学して当時エア・ジョーダンと言われるNBAのシカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンに憧れてバスケットボール部に入部しました。ここから本当に汗臭いスポ根の世界にのめり込んでいきました。中学、高校と寝ても覚めてもバスケ一筋の青春時代を過ごしておりました。
先日、日本人で史上二人目のNBAプレーヤーになった渡辺雄太が大きく話題になりましたが、日本人初のNBAプレーヤーで今も現役でプレイしおります田臥勇太とは同世代でございまして、全く足元にも及ばなかったですが、同じようにプロプレーヤーを本気で夢見ておりました。
ただ、ここで人生の転機というか挫折がございまして、高校3年生の時に両足の靭帯を切るという怪我をしてしまいました。必死にリハビリをして最後の大会にも無理やり出たのですが、むしろ周りの選手にも迷惑をかけてしまうような状態で今でも後悔というか、何度もその場面を思い出すことがあります。
大学に入ってからは地元のバスケのクラブチームでプレイしつつ、初めてのアルバイトをして初めての給料の使い道としてインドへ一人旅にいきました。往復の航空チケットと当時の私の全財産である2万円を握りしめて。1泊1ドルのドミトリーを渡り歩き、時にはインド人の村に泊めていただきながら北インドから東インドまで約3400キロを陸路で2か月ほど1人旅をしました。その時非常に役にたったのがチェスでした。チェスはインド発祥のゲームですのでインドの方は大体できます。バザールでチェスを買って、勝負に勝ったらご飯をご馳走していただく、泊めてくれなんて交渉をしておりました。
今まで決められた線の上を必死に走ってきた人生でしたので、点と点を自分で自由につないで旅をするという感覚に本当に夢中になりました。これがきっかけで1人旅が趣味になりその後もネパール、ラオス、ヨルダン、チュニジア、ペルー、カンボジア、ミャンマーなど新興国中心に20数か国を周りました。旅をするときは必ず折り紙を持っていき、貧しい子供たちにお金は恵んであげられませんでしたが、鶴を折ってあげたり教えたりしていました。
どこか新興国でもし折り紙が折れる村の子供たちがいたらきっかけは私かもしれません。
大学時代は経済を専攻しておりましたので、経済学は学んではいたものの、本当にひたすらお金を貯めては世界中を見て周っていたという大学生活でした。
そして大学の時に初めての彼女ができまして、その後10年付き合って今の妻がその女性になります。現在は3人の子供にも恵まれております。
そして2003年、日経平均はバブル後最安値を更新する7,607円になり、りそな銀行に政府が2兆円を出資し実質国有化した頃、就職活動が始まりました。当時は就職内定率が50%割れになっている就職超氷河期と言われる時代でした。その中で手を差し伸べて頂いたのが野村證券でした。その後いくつか内定も頂きましたが、最初に内定を頂いた野村證券に縁を感じて就職させて頂きました。
最初に配属された支店は藤沢支店でしたので、今回社会人としてスタートを切った同じ神奈川県に戻ってこれましたので本当に懐かしく、うれしく感じております。
当時の新人時代に大変お世話になったお客様方にもご挨拶させていただきましたが、本当に色々と思い出します。
当時を振り返ると新入社員で、右も左もわからないまま営業に行って来いと放り出されまして、本当にお客様にご迷惑をおかけしながらも色々と教えていただき育てていただいたというのが一番でした。もしかしたら皆様のところにも当社の社員から届いたことがあるかもしれませんが、巻紙という巻物、筆で恋文を認めて送らせていただくのですが、私も何千本と書きました。そしてお会いできたら色んなお話しを聞かせていただいて、またそこで勉強させて頂いて、当時は給料もいらないと思えるほどこういった仕事をさせていただいていることに感謝と充実感を覚えておりました。
その翌年の2005年には郵政民営化を争点とした解散総選挙(いわゆる『郵政解散』)で与党が圧勝し、郵政民営化関連法案が成立し、日本経済は景気回復から拡張へ向かう追い風の中で仕事をさせていただきました。
そこから仙台支店に異動になり、その時、一番ショッキングな出来事であった東日本大震災もあり、本当にこの時はその場所におりましたので様々なことがあり、様々なことを考えさせられました。お話ししたいこともたくさんあるのですが、また別の機会でお話しさせていただきます。そこから広島支店を経て、前任地の浜松支店では営業の統括をしておりました。そして今回この4月に鶴見支店に参りました。
最後になりますが、社会の構造転換が大きく進んでいる局面だと考えております。その中で改めて、資産配分の再構築や、資産の継承の仕方を真剣に考える日が迫っていると思っております。野村證券では様々なご相談に対応できるサービスがそろっております。ぜひ、お考えなられる際には、それ野村に聞いてみよう、と思い浮かべていただければ幸いでございます。
本日はご清聴ありがとうございました。

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