活動報告

第32回例会卓話「三渓園をつくった原三渓」

2019年03月08日

「三渓園をつくった原三渓」
 大佛次郎記念館・特任研究員、
公益財団法人三溪園保勝会副理事長 猿渡紀代子様


 横浜本牧にある三溪園は5万3千坪の広大な日本庭園で、園内には17棟の古建築が創意豊かに配されている。その内10棟は重要文化財に指定されている。庭園全体も、2007年国の名勝に指定され、海外から訪れる観光客は年間4万人に上る。

自宅を囲むこの庭園を自らのデザインによって築造し、110年以上前に公開したのが、実業家・原三溪である。原富太郎(号・三溪)は、時代が江戸から明治へと変わるちょうどその年(慶応4年/明治元年)岐阜の豪農の家に生れ、現在の早稲田大学を卒業、跡見女学校で教鞭を取った。そのときの教え子でもあった原屋寿と結婚したことで、横浜随一の生糸売込商にして財界重鎮であった原善三郎の後継者となる。
 善三郎の没後、三溪は原商店を原合名会社という近代的な組織に変え、1902年(明治35)以降、群馬県の富岡製糸場(現在は世界遺産)をはじめとする全国4カ所の製糸場を経営し、質の高い生糸を欧米各国に輸出した。1911年(明治44)日本は世界一の絹生産国となり、生糸は日本の近代化を支える輸出産品であった。
 横浜の大実業家として活躍するかたわら、三溪は1906年(明治39)「遊覧御随意 三溪園」と自ら揮毫した看板を門柱に掲げて、誰でもが無料で入れる庭園(現在の外苑部分)を一般公開した。一歩園内に入ると、大池の向こうに室町時代の三重塔がそびえ、別世界が広がっている。江戸時代の紀州徳川家の別荘を創意工夫をもって移築した臨春閣は、「西の桂離宮」と肩を並べる名建築である。茶室の春草廬(しゅんそうろ)も、三溪園の奥まった場所に建つ聴秋閣(ちょうしゅうかく)も四季折々の美しさを見せてくれる。
 1916年(大正5)アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩人・思想家のタゴールが来日。三溪園に2か月半滞在するあいだ、下村観山作の屏風《弱法師》(よろぼし)を見て感動し、三溪はそれを模写させてタゴールに贈り、現在はタゴール国際大学に収蔵されている。
 原三溪は多面的な文化人であり、美術コレクター、芸術のパトロン、茶人にして書画に巧みであった。同時に、横浜の経済危機に際して救済のため奔走し、甚大な被害をもたらした関東大震災後の横浜復興には身を挺して尽力するなど、多くの社会貢献をなしたことも忘れてはならない。
 今年は、没後80年にあたり横浜美術館で「原三溪の美術―伝説の大コレクション」展が開催される(7月13日~9月1日)。是非ご覧いただきたい。


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